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元「アイスクリーム」編集長による食雑誌の常識を覆した「ライス」はいかにして生まれたか

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“lifestyle for foodies”をテーマに掲げ2016年に創刊した「ライス(RiCE)」は、「アイスクリーム(EYESCREAM)」で創刊以来編集長を12年間務めた稲田浩さんが独立して立ち上げた雑誌だ。3月に10号目を発行した稲田さんに、約25年にわたる編集人生についてと「ライス」に込めた思いを聞いた。

2010年代から世界中で食をテーマにしたインディペンデント誌の創刊が相次いでいる。アメリカ発のコーヒーカルチャーマガジン「ドリフト(DRIFT)」、同じ編集チームによる食をテーマにした「アンブロシア(AMBROSIA)」、毎号ユニークなテーマで食に迫るアメリカ発の「ギャザージャーナル(GATHER JOURNAL)」、独特のビジュアルが目を引くスペイン発の「フエ(FUET)」、ファッション誌の元ビューティ・ディレクターによるアメリカ発の「チェリーボンベ(CHERRY BOMBE)」など挙げればキリがない。

その中でも、食をひとつのカルチャーと捉え、食のルーツや食糧問題、おいしい本や映画、食のあるファッションフォトなど幅広いジャンルを軽やかに横断しながら食文化を発信している点で、「ライス」はユニークな存在といえるだろう。その背景には稲田さん自身の編集経歴がある。

1969年生まれの稲田さんは、大学に進学するために大阪から上京した。「今みたいにインターネットもない時代で、みんなお金もないのに大量のカルチャーを摂取していた時代だったんですよね」と当時を振り返る。高校生の頃から映画が好きで、学生時代はシネマ研究会に所属。卒業後はシンコーミュージックに入社した後、縁あってロッキング・オンに移った。「まず配属されたのが邦楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン(ROCKIN'ON JAPAN、以下ジャパン)』でした。当時売れている邦楽雑誌がたくさんある中で『ジャパン』は硬派な路線を貫いていたので、配属当初は売り上げがあまりよくなかったんです。いきなり『ジャパン』をどうするかというブレスト会議から始まりました」。

「ジャパン」に在籍していた半年間のうちにリニューアルを敢行。在籍中後半に渋谷系の音楽ムーブメントが始まると同時に「ジャパン」の売れ行きがよくなり、新しい流れを感じたという。その後、「エイチ(H)」「カット(Cut)」の編集を経験。「ロッキング・オンにいた10年間のうち5年半『カット』に在籍していたので、自分の編集者としての地盤はそのときにできたのだと思います。もともと映画好きだったこともあり、自分なりの知識も役立ちました。専門的なことよりも、今起こっているカルチャーや映画・音楽とアート・ファッションのつながりが好きだということにも気づいたんです」。

その後、洋楽雑誌「ロッキング・オン(rockin’on)」に異動。「僕が入社したときは洋楽の盛り上がりがあったけど、だんだん『ジャパン』の方が勢いがついてきて『ロッキング・オン』は少し部数が落ちていた時期でした。シーンが元気じゃなかったら自分たちで工夫するしかないということを、当時からの編集長である山崎洋一郎さんから学びました。アゲインストの中で戦うという感じだった気がします」。

そうして社内の多くの編集部を経験した稲田さんは、自分なりに作りたい雑誌がぼんやりと浮かんでいたということもあり、悩み抜いた末に退社を決意した。

その後、入社した会社で創刊したのが「アイスクリーム」だ。「アイスクリームという言葉を耳で聞いたらポップだけど、英語で表すと“目がスクリームする”という、見た目がすごく尖っていますよね。そのギャップが面白いと思って。尖っているものの中で一番メジャーで、メジャーなものの中で一番尖っているというポジションの雑誌がありそうでないなと思ったし、そういうカルチャーが当時起きていると感じたので、ハマるものを作りたいと考えたのが最初のイメージでした」。

2004年の創刊当初から月刊で発行(現在は季刊)。途中で発行元が4回変わったが、途切れることなく12年間作り続けた。「やり切ったという気持ちがあったのですが、雑誌は続いてほしいなと思ったんです。自分が離れても作り続けられる体制が最後の方にはあったので、次のことをやろうかなと。それが『ライス』です。いろんな雑誌を作らせてもらいながらもずっと組織に依存していたので、そろそろ自分の力でやってもいいかなという思いもありました。決断するときって理由は一つではないですよね。さまざまなことが重なって今だと感じ、辞めた後、すぐにライスプレスという出版社を作りました」。

カルチャー誌から食の分野へ。いつから構想が浮かんでいたのだろうか。「09年に映画『イートリップ(eatrip)』が公開されたときに、“食”という特集で『アイスクリーム』で何かできるのではと感じたのですが、当時はあいにく実現しませんでした。自分の中で心残りがあったんです。あの映画をきっかけに食のドキュメンタリー映画もどんどん出てきて、『ごはん映画祭』も始まり、映画に“食”という一つのジャンルができたように感じました。一方音楽のフェスに行くと、食のクオリティーが上がり、ファッションの分野でもセレクトショップに行くと食が集客を担う一部になっている。世の中のベクトルが食に向かっていることを感じました。だったら食を中心にした雑誌を作るのが、今のタイミングにフィットするのではと思ったんです」と稲田さんは話す。

もう一つ大きなきっかけとなったのが、レストラン「サーモンアンドトラウト」の存在だという。シェフの森枝幹さんと意気投合し、一緒に作ることを決意した。

日本で発行されている食の雑誌は、料理のシズル感を写真で伝えるためツルッとしたコート紙が主流だ。表紙も写真を使用することが多いが、「ライス」はイラストを表紙にし、マットな紙を使用。「ないものを作りたいという気持ちがありました。せっかく今の時代にあえて紙で作るのだから、触ったときの感覚や紙の匂いが感じられるものにしたいと思いました」。イラストは20年来の友人でもあるという下田昌克さんが創刊から手掛けている。

創刊号の特集は、ごはん。その後は、魚、カレーライス、甘味、日本酒、ラーメン、サンドイッチ、クラフトビール、牛肉、蕎麦と続く。季節感も考慮した上で流れを意識しながら決めるという特集は、「毎号がその時々の答えでもあるけれど、雑誌は続くので点と点が線になっていきますよね。その線を意識しながらどうポイントを使うかと考えているところもあります」。

コンテンツごとにベースカラーが変わるカラフルな誌面デザインは、ページをめくるうちにいつの間にか奥深い食の世界へ誘ってくれる。ポップなファッション企画から、シリアスな食糧事情を伝えるコンテンツ、フードアイテムのスタイリングページ、エッセーなどをゆるやかにつないでいく編集が、「ライス」の醍醐味といえるだろう。

9号目からは、コンテンツ紹介ページに「Appetizers」「Aperitif」「Main Dishes」「Side Dishes」「Desserts」と表記されるようになった。1冊をまるで1つのコース料理と捉えるコンテンツの作り方がユニークだ。

「結局カルチャーは、一つのことを取り上げてもそれは一つの断面でしかありません。いろんな面があることで総体が見えてくる。そういう意味では10号まで発行したことで、10面見せられたということだと思うんです」。

季刊誌である「ライス」は新しい元号に変わった後、11号目が発売予定だ。「よく考えたら、大人になるまでは昭和の時代を過ごし、平成を迎えたのが20歳。そこから50歳までがちょうど平成で、新しい時代を迎えると思うと区切りがいいですよね。次の号では思い切った変化も目論んでいます」。

最後に稲田さんが大切にしていることを聞いた。「僕が編集をやってきて学んだことは、続けることが雑誌作りの大事なところということです。1号だけ作ることは誰でもできると思うんです。雑誌は続けないと意味がない。続けられるかということで、雑誌の意味が見出せるのではないかなと思っています」。

「ライス」は今後どのように進化していくのだろうか。読者とコミュニケーションが取れるイベントにも力を入れていきたいと話す稲田さんが作る雑誌を、私はこれからもずっと楽しみにしている。

高山かおり:独断と偏見で選ぶ国内外のマニアックな雑誌に特化したオンラインストア「マガジンイズントデッド(Magazine isn’t dead. )」主宰。本業は、東京と甲府の2拠点で活動するライター、編集者。北海道生まれ。北海道ドレスメーカー学院卒業後、セレクトショップの「アクアガール(aquagirl)」で販売員として勤務。在職中にルミネストシルバー賞を受賞。その後、4歳からの雑誌好きが高じて都内書店へ転職し、6年間雑誌担当を務める。18年3月に退社して現在に至る。